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梟書茶房のはじまり
砂山は、小さな小さな砂粒からできています。
もしも、気まぐれに、そこから数粒の砂を除いても、砂山は変わらず、砂山のままに見えますね。
さてその行為を、何度も繰り返したらどうなるでしょうか。
最後に一粒だけの砂が残されているときに、我々はそれを「砂山」と呼べるのでしょうか。
いえ、まさか。それは砂山ではありませんね。
ではでは、砂粒が何粒だったら、それを砂山と思えるのでしょうか?
砂山が砂山に見えるための最小の砂粒の数が、どこかに存在するのでしょうか?
この設問は「砂山問題」と呼ばれ、論理・哲学などを考えるときに引き合いに出されます。
概念を構成する最小単位を考えるのは、とても興味深いことです。
梟書茶房を作った二人の男は奇矯です。一人は「珈琲」を、もう一人は「本」を、それぞれに偏愛し、
彼らは人生という砂山から、それらが取り去られれば、どれだけ大量の砂粒が残っていても、それを人生と呼びません。
その偏愛の二人が出会い、本と珈琲の魅力を伝えようとして作ったお店が梟書茶房です。
ここは、書房でしょうか、茶房でしょうか。融合したそれを、彼らは「書茶房」としました。
ここがどのような場所なのか、皆さま、ぜひぜひ、お越しくださいませ。








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